1963年、当時NWA世界ヘビー級王者だったバディ・ロジャースのブッキングをほぼ独占していた米国北東部CWC(Capitol Wrestling Corporation)のプロモーター、トゥーツ・モント(ニューヨーク)とビンス・マクマホン・シニア(ワシントンDC)は、他の会員プロモーター達への世界王者ブッキングを要請し続けるNWAから脱退、「リオデジャネイロのトーナメントで優勝した」という発表のもとロジャースを初代王者とし、WWWFを発足した。実際は、AWA同様、独自の世界王座を認定したがっていたCWCによるWWWF発足を、独禁法対策という目的も含めてNWAが容認。公式にはWWWFが1971年にNWA再加盟したということになっているが、それまでもマクマホンらはNWA年次総会に出席し続けていた。
新日本プロレスやUWAと業務提携し、WWWF王座が日本やメキシコで防衛されたり、アントニオ猪木や藤波辰己(現・辰爾)らの日本人選手のニューヨーク参戦やWWF認定選手権奪取にも繋がった。
1979年3月にWWFに改称。1980年には、1971年から実況を担当していたビンス・マクマホン・ジュニアがタイタン・スポーツを設立し、1982年に父親からCWCを買収、WWFの権利を手に入れた。同年末、興行不振のロサンゼルス地区をマイク・ラーベルから買収し西海岸進出(表面上は引き続きラーベルがプロモーター)、1983年にはNWAからも再度脱退し、全米侵攻を開始。
WWFとライバル団体ジム・クロケット・プロモーションズ(NWA系、88年テッド・ターナーが買収しWCWを発足)のテリトリー拡大により、80年代にはアメリカとカナダの多くのテリトリーが閉鎖に追い込まれる。老舗のAWAも91年に閉鎖し、2001年にはWWFがWCWの登録商標などの権利を買収し、全米規模で活動する唯一の団体となる。
2002年、『RAW』と『スマックダウン』の二つのブランドへの分割化の翌月、世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)に、同一イニシャルの使用について敗訴し、WWEへ余儀なく名称変更。 |