2021-05-25更新
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| バーン・ガニア | 1960-08-01 | NWA世界王者パット・オコーナーがAWA発足後90日以内にガニアの挑戦を受けないことを理由に、王者に認定。AWAは実際にオコーナーを初代王者に認定していたという説もあり。 |
| ジーン・キニスキー | 1961-07-11 | MN州ミネアポリス |
| バーン・ガニア [2] | 1961-08-08 | MN州ミネアポリス |
| ミスター・M (ビル・ミラー) | 1962-01-09 | MN州ミネアポリス |
| バーン・ガニア [3] | 1962-08-21 | MN州ミネアポリス | 62-08-25、NE州オマハでフリッツ・フォン・エリックを破り、世界選手権 (オマハ版)を奪取。 |
| クラッシャー・リソワスキー | 1963-07-09 | MN州ミネアポリス | AWA世界王座のみ奪取。 |
| バーン・ガニア [4] | 1963-07-20 | MN州ミネアポリス | 同時にオマハ版も保持。 |
| フリッツ・フォン・エリック | 1963-07-27 | NE州オマハ | 二冠奪取。 |
| バーン・ガニア [5] | 1963-08-08 | TX州アマリロ | AWA選手権のみ奪取。63-09-07、NE州オマハでエリックを破り、世界選手権 (オマハ版)も奪取。両選手権統一。 |
| クラッシャー・リソワスキー [2] | 1963-11-16 | MN州セントポール |
| バーン・ガニア [6] | 1963-12-14 | MN州ミネアポリス |
| マッドドッグ・バション # | 1964-05-02 | NE州オマハ | 3本目KOにより勝利。当初は王座移動が発表されたが、バションが膝のバンデージの中に凶器を入れていたことが発覚したため、64-05-05付でAWA会長スタンリー・ブラックバーンにより王座空位が発表。 |
| バーン・ガニア [7] | 1964-05-16 | NE州オマハ | バションがロープに足をかけたままガニアをピン、ベルトを持ってリングを去った後、レフリーが試合を再開し、カウントを続けたためガニアがリングアウト勝ち。 |
| マッドドッグ・バション | 1964-10-20 | MN州ミネアポリス |
| イゴー・ボディック | 1965-05-15 | NE州オマハ |
| マッドドッグ・バション [2] | 1965-05-22 | NE州オマハ |
| クラッシャー・リソワスキー [3] | 1965-08-21 | MN州セントポール |
| マッドドッグ・バション [3] | 1965-11-12 | CO州デンバー |
| 66-01-08、NE州オマハでティム・ウッズがバションを破るが、AWA会長スタンレー・ブラックバーンが試合を再審査し、3本目でウッズがバションをフォールしていた際、足がロープにかかっていたことから、66-01-14付で無効試合であることを発表。同日、再戦でもバションがウッズを破る。 | ||
| ディック・ザ・ブルーザー | 1966-11-12 | NE州オマハ |
| マッドドッグ・バション [4] | 1966-11-19 | NE州オマハ |
| バーン・ガニア [8] | 1967-02-26 | MN州セントポール |
| ドクター・X (ディック・ベイヤー = ザ・デストロイヤー) | 1968-08-17 | MN州ブルーミントン |
| バーン・ガニア [9] | 1968-08-31 | MN州ミネアポリス |
| ニック・ボックウィンクル | 1975-11-08 | MN州セントポール | 79-03-25、ON州トロントでWWF王者ボブ・バックランドとのダブルタイトルマッチで両者リングアウト引き分け。 |
| バーン・ガニア [10] | 1980-07-18 | IL州シカゴ |
| ニック・ボックウィンクル [2] | 1981-05-19 | |
| ガニア引退に伴い、授与。82-04-18、MN州セントポールで、両者が凶器を使う中、ハルク・ホーガンがボックウィンクルを破り、レフリーにより新王者として宣告されるが、82-04-24、AWA会長スタンリー・ブラックバーンが、試合中凶器の使用があったことを理由に王座移動を無効とし、引き続きボックウィンクルを認定。 | ||
| オットー・ワンツ | 1982-08-29 | MN州セントポール |
| ニック・ボックウィンクル [3] | 1982-10-09 | IL州シカゴ |
| ジェリー・ローラー # | 1982-12-27 | TN州メンフィス | 後に王座預かり。 |
| ニック・ボックウィンクル # | 1983-01-10 | TN州メンフィス |
| 再戦でローラーを破る。83-04-24、MN州ミネアポリスでハルク・ホーガンがボックウィンクルに反則なしルールの試合で勝利するが、AWA会長ブラックバーンは試合直後、ホーガンから王座剥奪、再びボックウィンクルを認定。 | ||
| ジャンボ鶴田 | 1984-02-23 | 東京 |
| リック・マーテル | 1984-05-13 | MN州セントポール |
| 85-10-21、東京でNWA世界王者リック・フレアーとの史上初のNWA対AWAダブルタイトルマッチで両者リングアウト引き分け。 | ||
| スタン・ハンセン | 1985-12-29 | NJ州イースト・ラザーフォード |
| ニック・ボックウィンクル [3] | 1986-06-29 | CO州デンバー | ハンセンが防衛戦をキャンセルしたため、挑戦者ボックウィンケルに王座が授与される。ハンセンは翌月、当初の予定通り日本で王座を防衛。 |
| カート・ヘニング | 1987-05-02 | CA州サンフランシスコ |
| ジェリー・ローラー | 1988-05-09 | TN州メンフィス | 88-12-13、IL州シカゴでケリー・フォン・エリックを破りWCWA世界選手権を奪取、統一世界王者に認定されるが、89-01-20、所属するメンフィスCWAがAWAとの提携を打ち切ったことによりAWA選手権を剥奪。 |
| ラリー・ズビスコ | 1989-02-07 | MN州セントポール | バトルロイヤル決勝でトム・ジンクに勝利。 |
| マサ斉藤 | 1990-02-10 | 東京 |
| ラリー・ズビスコ [2] | 1990-04-08 | MN州セントポール | 90-12-12、活動停止したAWAを脱退し、WCWに移籍したため王座剥奪。AWAは91年に倒産するが、ズビスコはその後も独立団体など防衛戦を続ける(95年1月の時点の防衛は判明)。 |
※ AWA World Heavyweight Title (AWA Superstars of Wrestling版)も参照。
AWA世界ヘビー級選手権防衛戦記録
(英語)
