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サム・アベイ (タルサ: 24 - 58/01) |
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ポール・ボッシュ (ヒューストン: 40年代 - 80年代) |
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レロイ・マクガーク (NWA: 50- 82) |
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グリズリー・スミス & ジャック・カーティス (ルイジアナ: - 82/11<) |
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ジョージ・カルキン & ジル・カルキン (ミシシッピ/ICW: 70年代 - 80) |
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ビル・ワット (MSWA/UWF: 79/08 - 87/04) |
オクラホマで生まれカンザスで育ったサム・アベイは、ある日近所に住んでいたビリー・サンドーと出会う。プロモーターで、エド・ストラングラー・ルイスのマネージャーでもあったサンドーは、アベイと意気投合し、巡業にも参加させ、世界選手権試合でのダブルクロス対策としてレフリーも任せた。
オクラホマは大学でのレスリングが盛んということもあり、多くのアマレス経験者が発掘された。タルサのレロイ・マクガークもその一人で、アベイはマクガークを中心に、ハリウッドのヒュー・ニコルスと協力し、ジュニアヘビー級やライトヘビー級の選手達を売り出した。マクガークは1938年にNWA(アソシエーション)世界ライトヘビー級、翌年には同世界ジュニアヘビー級選手権を奪取、十年以上保持した。
マクガークは1949年、NWA(アライアンス)世界ジュニアヘビー級選手権も統一したが、翌年交通事故で視覚を失い、引退に追い込まれる。これを機にアベイはマクガークをパートナーに起用。アベイがNWAの会計役、マクガークが世界ジュニアヘビー級選手権の管理を任される。オクラホマだけではなく、ルイジアナやミシシッピ、アーカンソー、そしてミズーリやテキサスの一部にまでテリトリーを拡大した。
1958年には、アベイが実権をマクガークに譲り、プロレス界から引退。ダニー・ホッジを中心としたジュニアヘビー級だけでなく、1960年代にはジャック・ブリスコ、1970年代にはビル・ワット(正しくは『ワッツ』)やディック・マードックらの活躍もあり、ヘビー級でも隆盛を見せた。
1979年、地区のトップスター兼ブッカーだったワットが、ルイジアナを買収。当時ミシシッピでジョージ・カルキン派と興行戦争にあったマクガークは、カルキン派の吸収を条件にアーカンソーでの興行権もワットに譲渡。タルサを中心にトライステート地区を続けていたマクガークは、82年にオクラホマをもワットに譲り、引退。ワットはNWAに非加盟だったにも関わらず、NWA世界ヘビー級王者を招いたり、また様々なアイディアで中南部地区で大成功を収めた。
1980年代中期、WWFやNWAジム・クロケット派の全米侵攻が始まると、ワットも団体名をMSWAからUWFに変え、全米進出。だが1987年にはオイル業界を中心としたオクラホマの経済に不況がおとずれ、ワットはUWFをクロケットに売却。クロケットは年末までUWFの名前を残したもの、実際にはUWFの持つテレビ枠と一部のUWFレスラー達だけが目的で、多額で買収したUWFを『団体抗争』などの展開に利用せず、結局は自らの団体を翌年テッド・ターナーに売る結果となった。 |
書籍
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