2021-05-25更新
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| 57年IL州シカゴでのルー・テーズ対エドワード・カーペンティア戦後、NE州オマハ地区のプロモーター、ジョー・デュセックが引き続きカーペンティアを認定することによってNWAから分派した選手権。日本では、この選手権からAWAが始まったと言われてるが、これは間違いで、後にAWA選手権に統一された事実からそういった説が出たと思われる。後にオマハ地区がAWAテリトリーになったのは事実だが、AWAが発足した60年以前のオマハ地区は『AWA』ではなく、AWA発足時点ではガニアもオマハ版王者ではなかったので、少なくともAWAと同じ選手権者を共有し始めた63年頃以前の同地区は、『オマハ派AWA』でも『AWAオマハ地区』でもない。 |
| エドワード・カーペンティア | 1957-06-14 | IL州シカゴ | NWA世界王者ルー・テーズの負傷による試合棄権で王座奪取。当初NWAも正式に認定するが、同年8月カーペンティアのマネージャーでもあるモントリオール地区プロモーターのエディ・クインがNWAを脱退したため、シカゴでの王座奪取を無効にする。カーペンティアはロサンゼルスやオマハ、ボストンなどで引き続き王者に認定される。 |
| バーン・ガニア | 1958-08-09 | NE州オマハ |
| ウィルバー・スナイダー | 1958-11-15 | NE州オマハ | US選手権としても認定。 |
| ディック・ザ・ブルーザー | 1959-05-23 | MI州デトロイト |
| US選手権を奪取し、オマハで世界王者としても認定。 | ||
| ウィルバー・スナイダー [2] | 1959-07-25 | NE州オマハ |
| ドクター・X (ビル・ミラー) | 1959-10-03 | NE州オマハ |
| ドン・レオ・ジョナサン | 1961-01-07 | NE州オマハ |
| ビル・ミラー [2] | 1961-02-04 | NE州オマハ |
| ドン・レオ・ジョナサン [2] | 1961-04-07 | NE州オマハ |
| 61-04-20、ボボ・ブラジルが反則勝ち、試合後両者が王座を主張。その後王座空位。両者は61-04-29、NE州オマハで対戦するが60分時間切れで引き分けたため王座は引き続き空位。 | ||
| ドン・レオ・ジョナサン [3] | 1961-05-20 | NE州オマハ |
| ボボ・ブラジルを破る。 | ||
| バーン・ガニア [2] | 1961-09-16 | NE州オマハ |
| フリッツ・フォン・エリック | 1962-07-21 | NE州オマハ |
| バーン・ガニア [3] | 1962-08-25 | NE州オマハ |
| 同時にAWA世界選手権も保持。 | ||
| フリッツ・フォン・エリック [2] | 1963-07-27 | NE州オマハ | 二冠奪取。 |
| バーン・ガニア [4] | 1963-09-07 | NE州オマハ | 63-08-08、TX州アマリロでフリッツ・フォン・エリックを破りAWA世界選手権奪取。この日、両王座はAWA選手権に統一される。 |
※ AWA世界ヘビー級選手権を参照。