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長年、ポール・ジョーンズやフレッド・ワードといったNWA系の名プロモーター達によって牛耳られてきたが、1972年にブッカーのレイ・ガンケルが死亡、未亡人のアンがASWA (オール・サウス・レスリング・アライアンス)を旗揚げ、多くの選手を引き抜くだけではなく、それまでNWA系を放送していたWTBSの番組枠も手に入れた。 1973年、助っ人として、それまでインディアナやオハイオ、ミシガン、コロラドなどで反NWA系の団体をプロモートしてきたジム・バーネットがオーストラリアから帰国、翌年ASWAを買収し、再びNWAがジョージア地区を独占する。1976年には、WTBSがケーブル化し、GCWの番組が全米規模で放送されることになる。 だが1983年、ジャックとジェリーのブリスコ兄弟が持ち株をビンス・マクマホンに売却、結果、WWFがGCWとWTBS番組『ワールド・チャンピオンシップ・レスリング』を買収することになる。オレイ・アンダーソンは引き続き、NWA系の『チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア』として、同局の別の時間帯で放送を継続。 WWFによる放送が始まると、視聴者からのWTBSに対する多くの苦情が増え、1985年3月には、ジム・クロケットのミッドアトランティック地区が、『チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア』と合併、WWFの放送枠も買収し、『NWA』の名で全米進出する。 |
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