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1930年代、アメリカの大部分で権力を持っていた二人の大プロモーター、ニューヨークのトゥーツ・モントとボストンのポール・バウザーは、サンフランシスコ地区の興行成績に不満を持ち、1935年11月に同地区の興行権を、ジャック・ガンソンから、元レスラーのジョー・マルセヴィッチに移した。以後、マルセヴィッチは、元世界ライトヘビー級王者で日本にも遠征し講道館の柔道家に挑戦したこともあるアド・サンテルをブッカーに、そしてレオ・ノメリーニや世界タッグ王者チームのシャープ兄弟をトップスターに従え、カリフォルニア北部とネバダ州に大テリトリーを築き上げた。海外修行中の力道山も同地区で活躍し、日本にもシャープ兄弟を始め、多くの選手達が日本に送り込まれた。
仲間のプロモーターや選手達から、信頼が厚かったマルセヴィッチだが、時代の流れに乗ろうとせず、1961年3月には、NWAを脱退しAWA(アライアンス=ガニアの団体とは別)を発足したジョニー・ドイルをバックに、ロイ・シャイアーが一万六千人の観客を集めカウ・パレスでライバル団体の旗揚げ戦を行なうことになる。マルセヴィッチは、小さめの会場に移りながらも、興行を続けていくが、翌年死去。
AWA(アライアンス)は、発足からたった数年後の1964年頃には崩壊し、1968年にはシャイアーもNWAに加盟。レイ・スティーブンスやパット・パターソンといったスターを売り出したが、他地区同様、1970年代後半になると不振に陥り、選手達も離脱し、NWAフロリダ地区と提携し選手を送り込んでもらいながらも長続きせず、1981年に閉鎖する。その後は、バーン・ガニアのAWA(アソシエーション)が1990年の崩壊まで同地区をサーキット。
※選手権名が英語記述の場合、英語による変遷史を掲載。 |
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