2021-03-02更新
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| ブッタン・シン | 1903-05-02 | メルボルン |
| グンガ・ブラームを破る。オーストララシア王者としても認定。 | ||
| クラレンス・ウェバー | 1906-11-19 | メルボルン |
| オーストララシア王者としても認定。15年、引退のため王座返上。 | ||
| ビリー・ミースキ | 1922-11-22 | メルボルン |
| トーナメント決勝でジョー・ベイリーを破る。 | ||
| クラレンス・ウェバー [2] | 1923-09-01 | メルボルン |
| ビリー・ミースキ [2] | 1926-09-18 | メルボルン |
| ジョー・ドーソン | 1933-03-18 | ブリスベーン |
| ビリー・ミースキ [3] | 1933-04-15 | ブリスベーン |
| 33年、レイチャード・スタジアムでの防衛を要請されるが、拒否。 | ||
| トム・ルリック | 1933-06-03 | シドニー |
| ミースキが防衛戦を拒否したため、王座決定戦でボニー・ミューアを破り、レイチャード・スタジアム版を奪取。38年、スタジアム・リミテッドがトーナメントを開催、ミースキは予選で敗退、決勝ではエディ・スカーフがジム・バーレットを破り、41年まで保持。38年にはレオ・デメトラルも王座を主張。 | ||
| ジョージ・ペンチェフ | 1939-12-09 | シドニー |
| 47年の時点でも保持。40年、フレッド・アトキンスがレオ・デメトラルを破り、王座を主張。40-12-07、ブロークンヒルでペンチェフがアトキンスを破り、両王座統一。 | ||
| フレッド・アトキンス | 1942-10-10 | シドニー |
| リーグ戦決勝でパット・ミーヤンを破る。ペンチェフもリーグ戦に参加したが、その後も王座を主張。44-03-18、アトキンスがペンチェフを破る。47-10-29の時点でも保持。48-01、米国移転のため王座空位。 | ||
| アル・コステロ | 1949-03-15< | |
| 49-03-15の時点では、コステロ、ジョージ・ペンチェフ、フレッド・アトキンスの3人が王座を主張。コステロは51-12-01の時点でも保持。 | ||
| レオ・ジェンセン | 1952-11-11 | ニューキャッスル |
| トニー・ラマロを破る。52-12-03の時点でも保持。 | ||
| ロッキー・ライレー | 1953-02-21 | ライカード |
| アルフ・グリアーを破る。 | ||
| ジョージ・ペンチェフ [2] | 1954-07-14 | |
| 海外から帰国し、王座を主張。 | ||
| バロン・フォン・ヘッシー | 1957-02-04 | アデレード |
| カンガルー・ケネディ | 1962-04-14 | ニューキャッスル |
| [...] | ||
| ブライアン・アシュビー | 1965-05< | |
| ラリー・オデイ | 1965-05-07 | シドニー |
| [...] | ||
| ビリー・ホワイト・ウルフ | 1967-01-28 | メルボルン |
| トーナメント優勝。67-02-11、IWA世界選手権奪取のため、王座空位。 | ||
| コン・バラシス # | 1948-12-11< | |
| イギリスで認定。 | ||
| アラン・ガーフィールド # | 1955-08< | |
| リバプール (イギリス)で認定。 | ||
※ NWA Australia National Heavyweight Titleも参照。