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[ English ]
NWA ナショナル・レスリング・アライアンス [ロサンゼルス] ( - 1958 )
NAWA ノースアメリカン・レスリング・アライアンス ( 1958 - 1961 )
WWA ワールドワイド・レスリング・アソシエーツ ( 1961 - 1968/10/01 )
NWA ハリウッド・レスリング ( 1968/10/01 - 1982/12/26 )
AWA アメリカン・レスリング・アソシエーション [ラスベガス] ( 1982 - 1989 )

プロモーター: ロサンゼルス: ピーター・ジェームス (1919 - 1920年代?)
ルー・ダロー (1920年代 - 1939) & トゥーツ・モント (1934/07 - 1940/09)
ジョニー・ドイル (NWA: 1930年代中期 - 1954/01)
ハリウッド: ヒュー・ニコルス (NWA: 1939/11 - 1956/12)
サンタモニカ: ニック・ルッツェ (1940/07 - ?) & ジョージ・ザハリアス
サンディエゴ: リン・プラトナー (1930年代初期?) & トミー・ランディス (1930年代初期? - 1936)
ベーカーズフィールド: ラリー・マキナーニー (1970<)
ジャック・フェッファー (1948 - 1949)
カル・イートン (1954/01 - 1966)、ジュリアス・ストロンボー (WWA: 1958 - 1975<)、ジン・ラベール
ジン・ラベール & マイク・ラベール (NWA: 1960年代 - 1982/12)

  ロサンゼルス・オリンピック・オーディトリアムのジョニー・ドイルと、ハリウッドのヒュー・ニコルスは、二人がNWAに加盟した翌年、NWAの協力によりそれまでの興行戦争から、共同体制へと移行した。
  NWA加盟後も独自の世界ヘビー級選手権を認定し続けていたドイルは、NWAの圧力に耐えれず、ついに1952年5月に、同地区王者バロン・ミシェル・リオーニとNWA王者ルー・テーズによる統一戦を行なう。この試合が、多くの関係者やマスコミの協力により、その時点ではプロレス史上最高$100,000の売り上げを達成。
  50年代中期になると、ドイルは興行権をニコルスとカル・イートンに売却。だがニコルスは56年末自殺。
  翌1957年、シカゴでエドワード・カーペンティアが疑惑の判定(?)でテーズを破り、テーズとカーペンティアの二人のNWA世界ヘビー級王者という異例な体制が一時的に敷かれるものの、カーペンティアのマネージャーでもあったモントリオールのプロモーター、エディ・クインのNWA脱退により、カーペンティアは王座を剥奪される。だが、イートンがプロモートするロサンゼルスや、同地区を離れたドイルが移転した先のボストン、そしてNE州オマハ等の数地区では、引き続きカーペンティアを認定し、これがロサンゼルスのWWAを含む各地区独自の世界ヘビー級王座誕生へとつながる。また、WWAは日本プロレスとも強いつながりを持ち、力道山のWWA世界王座奪取により、アジア人初の世界ヘビー級王者を生み出し、力道山がテーズからインターナショナル選手権を奪取したのも、アントニオ猪木がジョン・トロスからUN王座を奪取したのもロサンゼルスだった。
  1968年にはプロモーターのジン & マイク・ラベールがNWAに加盟、同地区は再びNWA傘下となる。70年代に入ると、新日本プロレスWWFと提携、NWA王座ではなくWWFのジュニアヘビー級やライトヘビー級王座が世界選手権として紹介されたこともあった。だがやがて興行不振に陥り、テレビもスペイン語局のみでの放送となり、82年末には興行権をWWFに売却。その後短期間は表面上引き続きマイク・ラベールがプロモーターということになっていた時期もあったものの、83年にはWWFがNWAを脱退し、事実上ロサンゼルス地区獲得がWWFの全米侵攻の布石となった。

※選手権名が英語記述の場合、英語による変遷史を掲載。


世界選手権(NWA以前)






参考文献


関連リンク






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