
| プロモーター: |
ビンセント・ジェームス・マクマホン (35 - 82) & トゥーツ・モント (53/01 - 69) |
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ビンセント・ケネディ・マクマホン (82 - ) |
| WWWF/WWF会長: |
ウイリー・ギルゼンバーグ (63 - 78) |
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新間 寿 (78 - 84) |
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ジャック・タニー (84 - 95) |
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ゴリラ・モンスーン (95 - 97) |
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リンダ・マクマホン (- 00/05) |
1963年、当時NWA世界ヘビー級王者だったバディ・ロジャースのブッキングをほぼ独占していた米国北東部CWC(キャピタル・レスリング・コーポレーション)のプロモーター、トゥーツ・モント(ニューヨーク)とビンス・マクマホン・シニア(ワシントンDC)は、他の会員プロモーター達への世界王者ブッキングを要請し続けるNWAから脱退、「リオデジャネイロのトーナメントで優勝した」という発表のもとロジャースを初代王者とし、WWWFを発足した。実際は、AWA同様、独自の世界王座を認定したがっていたCWCによるWWWF発足を、独禁法対策という目的も含めてNWAが容認。公式にはWWWFが1971年にNWA再加盟したということになっているが、それまでもマクマホンらはNWA年次総会に出席し続けていた。 新日本プロレスやUWAと業務提携し、WWWF王座が日本やメキシコで防衛されたり、アントニオ猪木や藤波辰己(現・辰爾)らの日本人選手のニューヨーク参戦やWWF認定選手権奪取にも繋がった。 1979年3月にWWFに改称。1980年には、1971年から実況を担当していたビンス・マクマホン・ジュニアがタイタン・スポーツを設立し、1982年に父親からCWCを買収、WWFの権利を手に入れた。同年末、興行不振のロサンゼルス地区をマイク・ラベールから買収し西海岸進出(表面上は引き続きラベールがプロモーター)、1983年にはNWAからも再度脱退し、全米侵攻を開始。 WWFとライバル団体ジム・クロケット・プロモーションズ(NWA系、88年テッド・ターナーが買収しWCWを発足)のテリトリー拡大により、80年代にはアメリカとカナダの多くのテリトリーが閉鎖に追い込まれる。老舗のAWAも91年に閉鎖し、2001年にはWWFがWCWの登録商標などの権利を買収し、全米規模で活動する唯一の団体となる。
2002年、『RAW』と『スマックダウン』の二つのブランドへの分割化の翌月、世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)に、同一イニシャルの使用について敗訴し、WWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)へ余儀なく名称変更。
2011年4月には、名称から『レスリング』を除くことを目的とし、イニシャルのみの『WWE』に社名変更。 |
世界選手権
NWA世界選手権
選手育成団体
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